12/04/2010

死を受け入れるということ・・・

夜、アメリカの義理姉から電話がかかってきた。

2週間前にアメリカへ戻ったそうだけれど、
今も悲しくて悲しくてたまらないそうで・・・


そのつらい気持ちが痛いほど伝わってきた。
わたしも父が亡くなったときはそうだった。

多分死に立ち会わなかったダーリンよりも
弱っていく姿を見ていたコロンビアの家族、アメリカの義理姉は
ほんとうにつらかったと思う。





特にアメリカの姉とその姉は数多くいる兄弟の中でもとても近い関係で、
仲が良かったようだ。 その分、ショックも大きかった。

複雑なお薬を入れてから、身体の機能に変化がでてしまって
大変になったそうで、医療の対応の仕方にも実は問題があったのか、

ほんとうはもっと生きることができたのか・・・

わたしはそこにいたわけではないので、いまひとつ状況がつかめないで
いるのだけれど、お姉さんの口ぶりからするとええ、なぜ亡くなってしまったの?
という感じのようだった。


そして、今でも亡くなったことが信じられない。
亡骸もみてるし、棺もみたけれど、それでも、信じられない。

信じたくないのだろう。
これが事実であるということを認めたくないと言っていた。


義理姉の訃報を聞いてから、わたし自身とっても落ち込んでしまったわけが
義理姉の電話でなんなくわかったような気がした。



それは彼女と話しているとき、胸のチャクラがとても苦しくなってしまって、
実はこれは、ダーリンがその事を知って帰宅したときもそうだったのだ。


彼の腕を握ったら、少しずつその苦しさがなくなっていた。

気のせいかな~とも思っていたけれど、今日お姉さんからの悲しみをとても深く
感じて、わたしが妙に落ち込んでしまったのは、お姉さんの悲しみやダーリンの悲しみ
をやはりどこかで感じていたのかな~と思った。


もちろんわたし自身も悲しいと思ったけれど、
父のとき以上になんとも深い悲しみがどこからともなく湧いてくるのが
妙に不思議だったのも事実だった。


尋常じゃない悲しさが自分の中からなぜか湧いてくるので、
一体どうしてしまったのだろうと正直戸惑い、
思わず亡くなった人の悲しみに対処するための書籍を
探して図書館に予約してしまったくらい。

父のときはここまで感じなかったのに、一体自分はどうしてしまったのだろう?
なんでこんなに悲しいのだろう・・・・

感情を中途半端に出していて、悲しみ足りなかったの?と思ったりもしていた・・・



しかし、しばらくすると嘘のように落ち着いてきてしまって、
本を借りた意味はあまりなかったかなと思ったのだけれど、

実はアメリカの義理姉やコロンビアの家族に対応するために参考に
これからなっていくかもしれない。 

まだ未読なので、あとでじっくり読んでみよう。


わたし自身は魂は永遠であり、輪廻転生も信じているので、

これで姉の人生が終わったとは思っていなくて、
むしろ更にしあわせになっていくために、

これからまた別の人生を
きっと生きていくためのステップでもあったと思うので、
会えないことは寂しいけれど、もう悲しくない。

父にもまた会いたいと思うことが何回もあって、
まだ寂しいと思うことも玉にあるけれど、

今回姉の死をきっかけに死は終わりではないことを
ほんとうに自分の中に落としこむができて、(別の日記のほうに書きました

父がまた新たなる人生を歩めるように
しあわせになっていってほしいと今は思っている。
アメリカの義理姉が立ち直っていけるようにサポートしていきたいと思った☆




さて、今週はほんとうに課題とエクササイズができていないので、
7週目に入らないでもう1回6週目をやろうと思います。

その週でできなかった課題は別の週でこなしてもOKと本にはありましたが、
毎回結構な課題の量なので、たまっていく一方になったら困るということと、

お金は自分自身のエネルギーと非常に深く繋がっている部分なので、
ちゃんとやっていきたいと思います☆ 

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